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2018年9月10日月曜日

高知能者のコミュニケーショントラブル:第8章 第1節 知能の高い学校、そして知能の高い職場へ

第8章 高知能者の幸せな生き方

 第1節 知能の高い学校、そして知能の高い職場へ

より、




(略) 
最も効果が高そうなのは、いわゆる偏差値の高い学校や職場に行くことです。そこでは知能指数が高い人が多く、殴られたりいじめられたりする確率がぐっと下がります。
特に難関校は、かなりASDADHDっぽい子供でも

お仲間がゴロゴロいて学校側も慣れている。
というか、先生もお仲間だらけ。
とのこと。

高度な趣味や会話が通じる仲間が増えたなら、毎日楽しくてしょうがないでしょう。昔のイヤな事をすべて忘れてしまうほど、夢中になれるものを見つけるに違いありません。自分自身や他人との接触に自信を持ち、斜に構えたりいじけたりするヒマすらなくなるでしょう。
理系の大学院などに行けば、周囲はもはや高知能者ばかりになります(*個人の感想です)。教授から学生までASDADHDぞろいなので、孤独を感じることもないでしょう。みにくいアヒルの子は、ついに白鳥の群れにたどり着いたのです!

(以下略)

高知能者のコミュニケーショントラブル:第7章 第2節 上位5%の知能がその国の経済に大きく貢献

第7章 高IQを扱えなくなった日本社会

 第2節 上位5%の知能がその国の経済に大きく貢献

より、




さらに面白い調査があります。
2011年に90カ国で行われた研究調査で、「人間の知能、特に最も賢い5%の人の知能が、その国の経済に大きく貢献している」ことが明らかになったそうです。

これは感覚的になんとなく知っていた人も多いでしょうが、そのような研究が出てくると「やっぱりそうか」と思ってしまいます。
というのも1990年代以降は情報技術の発達によって産業界のルールが変わってしまい、

  •   競争はグローバル
  •   スピード勝負
  •   勝者総取り


の傾向が強まったからです。

IT革命前は、そこそこの知能の人々が知恵を出し合って協力することが何よりも重要でした。いまだにそのような構造が残っている産業も多いです。
しかし今の情報技術や企業経営の世界では、一部の天才が能力を発揮できるようにサポートすることが勝利への近道なのです。
ひとりの天才が作ったソフトウェアは、100人のプログラマが莫大な資金と時間をかけて作ったものに勝ります。
ひとりの天才に率いられた企業は、ライバル会社をなぎ倒して市場の利益を独占します。

今の情報技術や企業経営の世界では、
一部の天才を周囲の人々が徹底的にサポートする
という体制の方が、勝利を得やすいというわけです。

(以下略) 

高知能者のコミュニケーショントラブル:第5章 第10節 高知能女子は「普通の女の子」に擬態する

第5章 高すぎる知能は一種の障害

 第10節 高知能女子は「普通の女の子」に擬態する

より


同じ高知能児でも、女の子の場合はまた別の問題が発生します。
というのも女社会は男社会以上に横並びであり、普通であることが求められるため、「頭が良くないふりをする女の子」が数多くいるそうなのです。
たとえば知っていることでもわざと知らないフリをしたり、テストで悪い点数を取ってみたり、「私バカだしぃ~」とアピールするようなのです。
高知能女子は「普通の女の子」に擬態する
ということです。他人の感情を敏感に読み取ることができる、女の子ならではの対応かもしれません。

また30年前ぐらいまでの日本では、そのようにしなければならない社会的風潮もありました。
その当時、女子にとって「頭が良い」「学歴が高い」ことは良い条件ではありませんでした。むしろ就職や結婚で不利になる可能性が高かったのです。
昔は大学進学率が低かったので、大学進学の時点でその時代のトップ3割には入っています。しかし実力通りに「四大卒の才女」になってしまうと、就職でも結婚でも男衆から敬遠される可能性がありました。そのためトップクラスの女子でもあえて女子短大を選び、学歴をわざとダウングレードしたのです。そのほうが良い会社に入って、良い旦那様を見つける可能性が高かったからです。
「この子は頭が切れるタイプではありませんよ。自己主張が強くありませんよ。良い奥さんになれますよ」と、世間にアピールしなければならない時代だったのでしょう。その頃の女子短大には偏差値にして40-60ぐらいの「普通の女の子」と、60-75近辺の「普通の女の子に偽装した高知能女子」が混在していたと言われています。
だから「お母さんは短大を卒業した普通の主婦」だと思っていたら、実は知能指数や学力がとんでもなく高かったという話をしばしば耳にするのです。
(以下略)

高知能者のコミュニケーショントラブル:第4章第8節 IQ120がリーダーに最適

第4章 みにくいアヒルの子 - 高知能児の苦悩

 第8節 IQ120がリーダーに最適

より、



ある研究によると「知能指数が120ぐらいの人こそリーダー向き」で、それより高くなると周囲の理解を得にくくリーダーシップを発揮しにくいとのこと。
これは何となくわかる気がします。
知能指数120といえば、学力偏差値で63.3にあたります。図表 5を見てもわかるように、100人いれば上から数えて9番目の知恵者です。人間が10人いればそのうちひとりぐらいは存在する、「どこにでもいる小集団のリーダー」ということになります。
もうひとつ重要なのは、この人々は「高知能者でありながらコミュニケーショントラブルが生じにくい水準にある」ことです。というのも「知能指数が20以内であればコミュニケーションできる」ので、知能指数140から100の人々をカバーできます。これは図表 7を見てわかるように、実に全人口の49.6%にあたります。

「上位10%以内に入る知能を持ち、かつ知能が比較的高い約5割の人々とコミュニケーションできる」

これは民主制度において、すさまじい強みとなります。最もコミュニケーション範囲が広い知能指数100の人でも、約8割のカバー率なのです。そこから知能が高くなるにしたがってコミュニケーションに問題が発生しますが、そのデメリットが大きくならない範囲で高知能のメリットを生かすことができる水準なのでしょう。
またノーベル賞受賞者の知能指数も飛び抜けて高いわけではないようで、平均すると120ぐらいと言われています。そして東大生の平均IQ120ぐらい。学問や研究の世界でも単に知能指数が高いだけでなく、「ひとつのことに打ち込む姿勢」や「コミュニケーション能力」を備えていることも必要なのかもしれません。

知能指数120は各地・各年代に散らばっている現場のリーダーたちと共感し、協力を得やすい最適なレベルなのでしょう。
(以下略)

高知能者のコミュニケーショントラブル:第3章第8節 会話の形をしたマウンティング

第3章 摩擦の原因は「マウンティング目的の会話」
第8節 会話の形をしたマウンティング

より、



ここでひとつ、仮説を立ててみましょう。
高知能者の反対側にいる人々にとって、会話の目的は
「序列の確認」
なのではないかと思うのです。
会話の形を取ってはいるが、
その本質はマウンティング
ということです。

そう考えると、確かに説明できることが多くなります。
高知能者にとっての会話の目的は、原理原則の理解と問題解決。あるいはそのための技能や情報の習得
であることが多いです。
だから意見が違っても「別解」として参考にしますし、意見を述べてくれたことに感謝します。会話という手段を使い、同じ目的に向かって進む仲間だと認識します。お互いに言いたいことを邪魔せず、本筋を大切にして、とんとん拍子に進みます。それを習慣にしているため、ますます賢くなってゆくのです。

一方、その反対側にいる人々は違います。
彼らの会話の目的は、自分が優位であることを示すマウンティング行動。
つまり「相手が自分の優位を認めてひれ伏したかどうか」が重要なのです。
ですから話の中身はどうでも良くて、相手の言葉尻を捉えては難癖をつけます。何か言い返されたら倍にして言い返します。最終的に相手を黙らせることができたなら自分の勝ち。争いはその場だけで終わらず、その後も悪口を言いふらしたり、いやがらせをしたり、集団で襲ったりして絡み続けます。相手の家族や勤務先にいやがらせを続け、生活できなくすることも平気です。
世の中には「口論するうちに相手を殺してしまった」事件がしばしば発生します。口で決着がつかないのであれば暴力でという考えであれば、最後にはそのような結果になってしまうのでしょう。

では仮に、この2種類の人が会話をしたらどうなるか?
(以下略)

高知能者のコミュニケーショントラブル:第2章第2節 コミュニケーションの悩みは非対称


第2章 高IQから見た世界(非対称コミュニケーション)

 第2節 コミュニケーションの悩みは非対称

より、



(略)

知能が高い者同士の会話では、「儀礼」「心遣い」「あいまいさ」「感情」といった余計な部分がそぎ落とされて行きます。
情報とアイディアが飛び交う高速通信
のようになって来るのです。
自分に対しての失礼や、思いやりに欠ける発言があっても気にしません。有用な情報を得るメリットや、解決策に到達するゲームの楽しさに比べたらごく小さなことだからです。
彼らはときどきユーモアを交えて大笑いしますが、話のテンポを損なうことはありません。軸がブレることなく、ともに目的に向かって一直線に動いているのです。

しかしこの違いを知らないまま、普通の人と高知能の人が会話をしたらどうなるでしょうか?
普通の人は、高知能の人に対して「無礼」「思いやりがない」「わけわかんない」「とにかく不愉快」という印象を持つはずです。
プロ野球選手がボールを普通に投げ返したとしても、一般人にとっては「殺人的な攻撃」と感じられます。その「攻撃」をやめさせるのに精いっぱいで、「何を伝えようとしているのか」まで考える余裕はないでしょう。普通の人々から見れば、高知能者たちは上から目線で抽象的な話を続けたかと思えば勝手に結論を出して自己満足しているように見えます。普通の人々は自分がないがしろにされたような感じで、「馬鹿にするな!」と怒ってしまうのです。
逆に高知能者から見ると、普通の人が「なぜそんなことにこだわって怒り出すのか」が理解できません。表面的な現象や形式にとられてしまい、本質や根本原因を追求しないことに驚きます。「こういう考え方もあるよ」と意見を言うと、「わからない」「興味ない」「誰もそんなこと考えてない」「俺に意見しようってのか」と拒絶されます。最悪の場合は集団でいじめられたり、暴力を振るわれてしまうのです。

このように「(知能が)下が上に対して」「上が下に対して」で感じることがそれぞれ異なることが、この問題の難しいところです。
知能指数が20以上違うと、コミュニケーションにおいて非対称な問題が発生する
ということです。




高知能者のコミュニケーショントラブル:第1章第4節 知能が高くなると友達が減る


第1章 知能が高くなると友達が減る

 第4節 知能が高くなると友達が減る

より、



(略)
そうであれば平均的な知能指数100の人は、知能指数が80から120までの範囲をカバーできます。実に総人口の81.8%と会話が成立するわけです(図表 6)。
そのうち自分よりも賢い人が半分、そうでない人が半分ですから、教えたり教えられたりで「持ちつ持たれつ」の関係となります。まさにコミュニケーションの中心を担う存在となれるのです。

図表 6 知能指数100の人は、82%の人々と会話が成り立つ

しかし知能指数が100から外れるほど、会話が成り立つ人の比率が減ってしまいます。たとえば図表 6のカバー範囲が右にずれたなら、面積が減ってしまうことが容易にわかるでしょう。つまり知能指数が上がるほど話が通じる人の割合が低くなり、通じたとしても自分が教える立場になることが多くなってしまうわけです。
そのことを示したのが図表 7です。知能指数が100から離れるほど、知能指数の上下20がカバーする比率、つまり話が合う人の比率は低くなって行きます。

図表 7 知能指数と上下20%カバー率




たとえば知能指数130のカバー範囲は110から150までなので、約25%の人としか会話が通じません(図表 8)。しかも自分より高い人は2.2%しかおらず、低い人は23%です。話が通じる人ばかりを集めたとしても、自分より低い人が91%と大多数になります。このような人は会話に気を使いながら人々に接し、責任を持って仕事をする立場になることが多くなることでしょう。

図表 8 知能指数130の人は、25%の人々としか会話が通じない


さらに知能指数160になると、140から180の人としか話が通じません(図表 9)。人口比にすれば実に0.4%250人にひとりしか友達になれないのです。たとえ25千人の中からそのようなな人を何とか100人集めたとしても、自分より知能指数が高い人はそのうち一人いるかどうかです。気兼ねなく話せる友人は少なく、いつも取引先と話しているように気をつかっていることでしょう。

図表 9 知能指数160の人は、話が合う人がほとんどいない


これほどまでに話が通じる人が少ないのなら、変人扱いされたりいじめられたりすることも増えると思います。

高知能者の孤独感や疎外感は、人々の想像をはるかに超える
と考えて間違いないと思います。